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ゆるい経営術

がんばるのではなく、努力するのではなく、自然体が最も力を発揮するのであーる。

本質をわかってないのに本質を語る、という違和感

ブログや本、人といった様々な方法で、日々情報をインプットするのですが、

そういった情報に対する評価として

 

「この情報はよく本質を捉えている!」

 

といった表現をよく目にします。

 

そして、それを見るとき、いつも違和感を感じます。

 

なぜ、その情報が「本質的」だと評価できるのでしょうか。

そう評価した人は、本質的な情報だと判断できるだけの材料を持っているのでしょうか。

 

 

たとえば、何社も立ち上げたり、日本や世界で有数の企業を作ったりした名経営者が、他の方の情報を目にして、

 

「うん、この情報は経営をするうえで大切なポイントだ。本質的だ。」

 

と評価するならわかります。

 

何かを成し遂げた人が、その幅広い知識や経験、または他の方の事例を数多く見てきたなかで、うまくいくこととそうでないことの分岐点を(意識的にでも無意識的にでも)把握し、自分でやったら高い確率でうまくいくことができる、という状況になって初めて、

 

「本質的だ」

 

と評価されるもんだと、僕は思うんです。

 

 

「本質」って、「根っこ」ということ。

 

その物事の本来の姿のこと、それがないと成り立たないもののこと。

 

ということは、それがわかっていれば、うまくいくのが当たり前、というもののこと、ですよね。

 

それをわかっている人であれば、既にその道のプロとして活躍している(できる)はず。

 

でも、そうじゃない人が「本質」を語るということ、さも自分は知ってますよ的な雰囲気で評価することって、なんか見てて「???」となる。

 

じゃあ、あなた、できるんですね、となる。

 

 

…と書いている僕だって、何も成し遂げていないわけで、この意見自体が「本質的ではない」ということになります(笑)

 

もしかしたら、ほとんどの意見、感想、思考、判断、というのは、本質的なものではなく、深さの差はあれど表面的なものなのかもしれません。

 

また、人によって価値観が違うので、

「枝が大事だ!」

「葉の方が大事だ!」

「いやいや幹でしょ!」

「実が成らないと意味ないよね!」

といった議論が繰り広げられるのですが、

「全ては根っこから始まってるよ」

と落ち着いてさらっと本質的なことを言えるようになりたいものです。

 

本当にうまくいってる人って、議論をしないイメージ。

議論は根っこ以外のところで起きますからね。

根っこが大事、という共通認識があれば、意見の対立や議論がなくなるんじゃないかな、と思います。

 

あらゆる表面的な知識や経験をどんどん深掘りして、

「あれ?この考え方で行動したら、どんどんうまくいくなぁ。」

という域にまで達して、本質を語れるようになる。

 

死ぬまでその修行は続くかもしれませんが、年齢を重ねることの楽しみでもあります。