ゆるい経営術

がんばるのではなく、努力するのではなく、自然体が最も力を発揮するのであーる。

同じものを見てても、同じものとして見ていない

たとえば「リンゴ」を見たときに、

人によってそれをどう解釈するか、

って変わってくる。

 

農家の人やったら

「ええリンゴかな~」

ってなるかも。

 

絵を描く人やったら

「描きやすいリンゴやな~」

ってなるかも。

 

栄養学を学んでいる人やったら

「このリンゴに含まれる栄養素は…」

ってなるかも。

 

Apple社が好きな人やったら

「でた!ロゴ!」

ってなるかも(ならんかな笑)。

 

 

つまり、

「リンゴ」

という同じものを見ても、

人の数だけ解釈が変わる。

 

認識のフィルターがあるわけで、

それは

「何に関心をもっているか」

で変わる。

 

農家フィルター、

絵描きフィルター、

栄養士フィルター、

Apple好きフィルター、

色んなフィルターがあり、

そのフィルターは「関心」によって作られている。

 

 

で、そのフィルターを通して認識したもの(A)は、

他のフィルターを通して認識したもの(B)とつながって、

バチバチバチってなんか脳内で電気信号が走って、

新しい認識(C)を生み出す。

 

Aは「絵描きフィルター」を通して見た「リンゴ」やけど、

Bは「絵描きフィルター」を通して見た「雲」かもしれない。

もしくは、「男性フィルター」を通して見た「ジュース」かもしれない。

 

つまり、

「何を」

「どうやって」

見たのかによって、得られる認識が変わってくる。

 

いつも歩いてる道を、

違う視点で見てみると、

違う情報が飛び込んでくるみたいに。

 

 

AとBがつながって生まれる新しい認識(C)が、

その人なりの認識であり、

それが増えれば増えるほど、

それが重なれば重なるほど、

他の誰でもない認識となって個性化される。

 

 

で、それを何らかの手段によってアウトプットする。

 

作る、発信する、言う、動く。

 

そのインプットとアウトプットの繰り返しで、

どんどん世の中に自分から生まれたものを発信して、

それが価値として受け止められたら、仕事となる。

 

 

どうアウトプットするか、も人によって違うはず。

 

「リンゴ」をどう認識し、

他の何と組み合わさって、

どう表現するのか。

 

シンプルに、そのループを日々繰り返してるだけなんかも。

 

だからこそ、自分以外の人と同じ時間を共有することはおもしろい。